ナニワのスクリーンで映画を観るということ。

大阪の映画好きゾンビまんです。 映画館のスクリーンで映画を観るということ。

2015年08月



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『はなれ瞽女おりん』
解説:『はなれ瞽女おりん』(はなれごぜおりん)はは水上勉が1975年に発表した小説、およびそれを原作とした映画である。
盲目の旅芸人・おりんと脱走兵として警察や憲兵隊に追われる男・平太郎との秘めた愛の道行きを美しい自然を背景に描く。監督は「桜の森の満開の下」の篠田正浩。
 
あらすじ:大正7年、春。盲目の旅芸人(瞽女)おりんはある日、一人の大男・平太郎と出会った。翌日から、二人は旅をともにする。おりんが飲み屋の客相手に芸を披露しているあいだ、男は客に酒を注ぎ、投げ銭を拾い集めたりした。が、ある時、土地のヤクザに呼び出された男がおりんのもとへ戻ってみると……。
 
 
 
日本アカデミー賞は、ちょうど私がひとりで映画館に通うようになった1978年(昭和53年)から始まった。私もワクワクしながら授賞式の様子をテレビで見ていました。
その第一回日本アカデミー賞、『幸せの黄色いハンカチ』が主要部門を独占。
作品賞をはじめ、監督&脚本賞(山田洋次)、主演男優賞(高倉健)、助演男優賞(武田鉄矢)、助演女優賞(桃井かおり)が最優秀賞に輝いた。
最優秀主演女優部門で、高倉健さんの妻を演じた倍賞千恵子さんもノミネートされていましてね、倍賞さんが最優秀を授賞すれば、まさにパーフェクトやったんですが、それを阻止して見事に最優秀主演女優賞に輝いたのが、『はなれ瞽女おりん』の岩下志麻さんだった。
 

【用語】
瞽女(ごぜ)・・・盲目の三味線を弾き歌う旅芸人。手引きと呼ばれる目の見える者を含め、数人単位で行動する。戦前頃まで新潟や東北に存在した。まだラジオや電話などがなかった時代に、田舎庶民の情報源であり、娯楽でもあった。

はなれ瞽女・・・決まりを破り、一門を破門にされ、一人で行動する瞽女。決まりとは、具体的には、男と寝るなど。
 
この作品、まず最初の舞台が福井県らしいんですが、とにかく寒い地方のお話でね。
私は盲目の旅芸人である瞽女さんの存在自体に驚いた。
旅先で夜這いの男に処女を奪われ、26才ではなれ瞽女になったおりんは、鶴川という大男と出会う。
鶴川は、おりんが出会った男の中で、唯一、おりんの体を求めない男だった。
鶴川はおりんを妹のように扱い、共に旅をする。
人として本当の愛を知り、幸福感に満たされるおりん。
この作品は、ふたりの回想を織り交ぜ、ふたりのつかず離れずという旅の様子を描いている。
 
とても哀れな悲劇を描いた作品なんやけど、それは盲目の女性がひとりで生きていく事の過酷さばかりではないんですよね・・・。
私はこの作品を見ていて、何が悲しいんやろ?と、感じようとしてみて感じた事は、おりんと鶴川はどうして惹かれあったのか?という部分なんですね。
人間ね、貧困というか、最底辺の経験レベルが同じような人って、共鳴する何かがあるんですよね・・・。
温もりを感じる事ができなくなった時点で、人間はどうしようもなく絶望してしまう・・・。
とても無垢で強い人が歩き疲れるというこの作品の結末を見ていると、人って弱いから支え合うんやなぁ・・・なんて感じてしまう。









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おりん(岩下志麻)は、3才の時から瞽女としての修行を積み、仲間たちと旅をしていた。
26の時に、夜這いの男(西田敏行)に犯された事から、はなれ瞽女になってしまう。






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ある夜、宿で一緒になった鶴川(原田芳雄)という大柄な男は、おりんの体を求めず、ただおりんの生い立ちに耳を傾けている。
そんな男に初めて出会ったおりんは驚く。
鶴川は、おりんに自分を兄と呼ばせ、一緒に旅をしようとおりんを誘う。







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盲目であるおりんのセックス観は少し変わっている。
生きていく為に必要な行為でもあり、目の見えない自分が唯一、人の温もりを肌で感じる行為でもある。
寒い地方の空き寺などで夜を過ごしてきたおりんは、とにかく人の温もりに飢えている。
だから最初に夜這いで処女を奪われたときも、「早くそうされたかった」と。
そんなおりんは、世話になっている鶴川に何度も「抱いておくれ」と懇願するんですが、鶴川は決しておりんを抱こうとしない。
同じように子供の時から旅をしてきた鶴川は、おりんの生き様に自分を重ね、ただただ、おりんを大切にしたいと思う男なんですよね・・・。
私は鶴川という男のおりんを想う気持ち、痛いほどわかる。




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鶴川は、脱走兵として、犯罪者として追われる男だった。
おりんに迷惑がかからないように、時にはおりんと別行動を選ぶ鶴川。
鶴川を演じた原田芳雄という人、男の色気の塊みたいな人やね。




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この作品の岩下志麻さんは、いつも通り凄いんですよ。
この人って、言葉のトーンが独特で、良い意味でストーリーから浮き上がってしまう。
凄く重くて暗いお話なのに、この人の斜め上から発せられるような強烈な方言と、盲目ならではの無表情さからは、女性としての強さを猛烈に感じる。
だからこそ・・・
この作品の最後でおりんが選んだ道に、儚さと美学を感じる事ができる。
また、監督の篠田正浩さんは、妻である岩下志麻さんを凄く綺麗に撮っています。






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第一回、日本アカデミー賞でのショットですね。

回想シーンとの交錯で、複雑に思える『はなれ瞽女おりん』という作品は、説明が少ないので面白みには欠けるかもしれない。
綺麗な風景描写も含めて、芸術作品の趣が強い作品ですが、古い時代背景に反映された“幸福感”だとか、“純愛”に心を揺さぶられる。
そういうのは理屈じゃないんやと。触れ合って感じるものやと・・・。




前記事の続き。
2007年の下半期に公開された映画の新聞広告を紹介します。
(広告はすべて関西版)






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これは家族で見に行きました。
バディものになった「3」を継承しつつも、『ダイ・ハード』らしさを取り戻した快作だった。
すんごく綺麗なマギーQが途中で退場するのはもったいなかったけど。





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『300』も同時期に見た会社の同僚トム君と感想が真っ二つに分かれた作品。
今ではもう当たり前になってきましたが、私は実景を感じさせないほどのCGてんこ盛りが大嫌い。
なんでこんな燃えれるおもろい話を劇画みたいな画調で埋め尽くすかと。
この作品から私はザック・スナイダー監督とは徹底的に合わなくなった。






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これは普通に面白いホラー映画でしたが、私が大阪・梅田の三番街シネマ2で最後に見た作品として思い出深い。
私と三番街シネマ2は、『サスペリア2』に始まり『ゴースト・ハウス』というホラーな出会いと別れやったですね。






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『フリーダム・ライターズ』はヒラリー・スワンク目当てで見たんですが、掘り出し物の良い映画。
根底で人種差別を描いた作品なんですが、理想に燃える新任高校教師を描いた実話の映画化。
教師(ヒラリー・スワンク)は生徒たちにノートを与え、生徒たちは書くという行為を通して自分を見つめ直していくという物語は見応えがあった。
「書く」という行為って、凄く大事な行為だと思います。






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これほど事前に思っていた内容と違う作品は稀でコケた(爆)・・・。
謎の生命体に人類が翻弄される序盤は『インディペンデンス・デイ』みたいで凄くスリリング。
しかし、トランスフォームするロボットたちがヒーローになる中盤以降は、「そっちかい」みたいな(爆汗)・・・。
家族で見たんですが、息子は途中から爆睡やったし(汗)・・・。
私と同じ感覚を持った人が私も周りでも多く、ロボットと少年の友情物語に燃えた私のように好意的ではなく、ボロクソに言ってる人が多かったね(汗)・・・。








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すべて未見です。
どれも見たかったんですが・・・。
会社の同僚が、『ヘアスプレー』は面白いと言ってた(汗)・・・。






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私の息子が小学生になって、このシリーズのゲームにハマりだしたので、これは息子と鑑賞した。
なぜか息子はミラ・ジョヴォヴィッチ主演の映画を私と続けて見る事になったんですよね。
だから息子の脳には強烈にミラ・ジョヴォヴィッチがインプットされていると思う。
私、ゲームの映画化とかアメコミヒーローものは近年スルーなんですが、このシリーズだけはなぜか毎回見ていておもろい。






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これはお正月映画で、ここから2008年度の作品になります。
これは期待せずに見たら面白かった。
ただ一人の人類になったウィル・スミスの孤独が深かったね。
だから他の人類を見つけて守る主人公に凄く感情移入できた。





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私、『エイリアンVSプレデター2』は見てるんですが、まったく記憶に残っていない〈爆汗)
「1」と「2」がごっちゃになって印象に残らん映画って逆に凄いわ(汗)・・・。







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これはディズニーなんで期待せずに見たら面白かった。
同じような宝探しの映画でも、『ダ・ヴィンチ・コード』みたいなんより、私はアクション度の高いこちらのアプローチの方が好き。
ダイアン・クルーガーが綺麗やったね・・・。



2008年はね、我が息子が少年野球チームに入り、私もコーチになったんで週末がなくなった(汗)・・・。
ここから数年、私は殆ど映画館に行かなくなります。
でね、私も今回気づいたんですが、広告のスクラップも整理できずにココで止まってるんですよね。
この時期からこのブログを始めるまでの数年間は、私は映画から遠ざかりました。




押し入れの中を整理していたら、まだ紹介していない年の新聞広告のスクラップが出てきたので記事にします。
2007年、私はあまり映画館に行ってないので、観た作品だけ簡単な感想を添えます。
でも、逆にこの時期から映画を見始めたとか、この時期の作品はよく見たという映画ファンもおられるでしょうね。
(広告はすべて関西版です)



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この2本はたしか続けて公開されたんですよね。
そして、ちょうどシネコン化が急速に進み、配給会社の垣根がなくなっていった。
それ以前は東宝系と松竹・東映系の配給作品がチャンポンで公開されるなんて考えられなかったですから。
『父親たちの星条旗』はね、なんてことないシーン、ふざけて軍艦から海に落ちた兵士がほったらかしというシーンが一番印象的。
『硫黄島からの手紙』は、日本の俳優陣の活躍が素晴らしかった。
手榴弾で自決した人の頭が吹っ飛んでるシーンで、前の席の女性が悲鳴をあげて目をそらしたのが忘れられない。





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この作品、私の周りでは不評やったんですが、私は死ぬほど面白かった。
潜入捜査官デカプーのビビリ演技と、最後に大活躍するマーク・ウォールバーグのヘタレ演技、そして、血だらけで、「もっとバケツをもってこい」と叫ぶジャック・ニコルソンのぶっ飛び演技が最高だった。







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低迷して脇に回り始めたケビン・コスナーが久々にいい役で出ていた作品。
内容は日本の『海猿』みたいです。
ケビン・コスナーは若き隊員を育てる海難救助隊長の役でした。これは良い映画でしたよ。







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これね、実話ベースで、あのフォレスト・ウィテカーが平気で人を虐殺する大統領を演じているんですが、友情にすがるヘタレな大統領の内面をキモく演じたフォレスト・ウィテカーが素晴らしいのなんの。
これは適役だと思った。オスカー受賞は伊達ではないね。







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『ゴーストライダー』はね、エヴァ・メンデス目当てで見たら意外に面白かった。





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この2作は未見です。







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これは凄く荒唐無稽なタイムスリップ映画に後半はなるんやけど、個人的には凄く面白かった。
デンゼル・ワシントンがある事故現場で遭遇した女性を助けたいという、純愛ドラマな面が好き。
広告の京本政樹みたいな新庄剛志は意味わからん(爆)・・・。






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これはシリーズの完結編というより、1作目の『ロッキー』の後日談として泣ける素晴らしい映画やった。
親の七光りに苦悩する息子に言う、ロッキーの言葉、「人生ほど重いパンチはないんだ。人生が思うようにいかない事を親の影のせいにするな」という説教は名台詞でしたわ。
1作目のどうでもいいような役の人を見守るロッキーの人柄に惚れる作品。







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デカプーの作品の中でも3本の指に入るほど私が好きな作品。
ダイヤモンドという魔性の石が、どのようにして人の手に渡るかを描いた壮絶な映画。
人としての良心を見せた事で、ラストで静かに息絶えるデカプーに感動した。








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これは様式美にこだわったヘンテコなハンニバル・レクターの若き日を描いた作品。
手前味噌になるんですが、これに私の会社の大先輩の事を絡めて書いた私の記事が変な意味でえらくウケた事のほうが印象的(爆汗)・・・。






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これは新しく大阪・ミナミに誕生した、「なんばパークスシネマ」で初めて見た映画。
なんと言っても菊地凛子。
「本当のバケモノを見せてやる」と、菊地凛子が見せたマン毛が、他のエピソードや俳優の名演をすべてぶっ飛ばしてしまった(爆)・・・。
フラッシュ点滅により、見た人が気分が悪くなったという現象も話題になりましたね。









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これは先日の私の映画館記事でも触れたんですが、私が息子を連れて、千日前・国際劇場で最後に見た映画。







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ここらも未見です。
私は『パイレーツ~』のシリーズはすべてスルー。







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このシリーズ、私はサム・ライミが監督というよりはキルスティン・ダンスト目当てで見続けた。
シリーズを通して面白かったですね。






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これはヒラリー・スワンク目当てで見たんですが、かなり本格的なスリラーだった。
イナゴの大群を含め、『エクソシスト2』みたいな映画でしたね。








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これはむちゃくちゃおもろかった。
ヒロインがええ乳しててね(汗)、やはり女優が良いアクション映画ってノレちゃいますわ(汗)・・・。
マーク・ウォールバーグ、意外にアクションがハマっていてビックリ。







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『あるスキャンダルの覚え書き』は、この年のベストかもしれん(爆)・・・。
ケイト・ブランシェット演じる女教師が教え子と肉体関係を持つという設定だけでもおもろいのに、実はそれをのぞき見してしまったベテラン教師ジュディ・デンチのむっつり痛い人が最高に不気味やったね(爆)
日記に星印シールを貼るジュディ・デンチの孤独には共感できる人が多いと思うよ。







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これは同時期に見た会社の同僚トム君と意見が真っ二つに分かれた映画。
私はシンプルでとても見ていて燃えた(汗)・・・。
実はこの作品のレビューを書きかけているんですが、私の友人のお話と合体させてしまったので、長文になって作成が止まってるんですよ。
いつかアップしますね。





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これは事実に基づいて結末が謎のままなんで、作品自体も難解に思えた。
しかし、さすがはデヴィッド・フィンチャーという素晴らしいシーンはたくさんあった。

この年は新しいシネコンができたり、各劇場のシネコン化についていこうという気があったのか、こうして並べてみるとたくさんの映画を見ています。
でも、この年の下半期からは、私は他のことで忙しくなり映画館に行く機会が激減しましたわ。













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もう8月も終わりなんですが(汗)・・・。
ウチのアイドル・モルモット、テディ&ランがいかに猛暑を乗り切ったかを報告します。
(しかし、前スーパーアイドルのも~やんが破壊した押入れが凄いな(笑)
中の工具箱が見えとる(汗)・・・)







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あまりクーラーの利いた部屋に来なかったも~やんと違い、テディとランはクーラーの利いた部屋が涼しい事がわかったようで、この夏は頻繁に居間へやってきて涼んでました。
やはり2匹だと、いろいろと協力しあううちに知恵が回るみたい。






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 2匹は居間の隅にあるラックの隙間でくつろぎはじめます。
モルモットは頻繁に排泄するので、居座る=そこは軽いうんちロードになる。

 (↑「なんでやねん」なんて野暮な事言わないの(汗)・・・軽快に行こうや)









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当ブログのスーパーモデルである我が息子。
もう今週から学校は始まっているんですが、夏休み中の息子は酷かったね。
寝てるか甲子園球場で高校野球の観戦をしてるかって感じで(汗)・・・。
連日、甲子園に行っては疲れて1日寝る・・・みたいな。
まぁ、寝る子は育つって言うからね。






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寝てる息子の横でモルちゃんたちも寝る(汗)・・・。
しかし、みんな寝相悪いわ。
テディ見てよ、ようランのケツの前で寝れるわ(爆)・・・。
まさに「何さらしてけつかんどん」という感じ(大阪の方言です)





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ママさん(嫁さん)が帰宅すると、お土産を期待して飛び起きる(汗)・・・。







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「ママさん早くぅ~♪」って、嫁さんの方を見ながらホガホガと催促ですわ。




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嫁さんが、摘みたての笹を投入~♪
この嫁さんのごっつい腕、こいつに私はよくひねられる(汗)・・・。




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テディのケツがでかいので、いつもランはケージの外から食う。

この旺盛な食欲で、2匹は夏バテ知らずで見事に夏を乗り切ったようですよ。


先日の記事で、在りし日の梅田ピカデリー1の写真を出したついでに昔の映画館の写真があったので、そんな懐かしい昭和の映画館についての記事をアップします。
当ブログの「映画館」の書庫で散々語ってきた事なんですが・・・。
大阪ローカルのマニアックな記事なんで、興味ない方はスルーしてください。





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シネコン時代の現在とは違い、映画館各自が単館で勝負していたころ(主に昭和ですね)、大きく二つに分けて、東宝系と松竹・東映系に洋画配給は分かれていた。
1080年に大阪・梅田に松竹会館が出来るまで、特に大阪・梅田地区には松竹・東映系の洋画ロードショー館が少なかったんですね。
1970年代中期から、超大作の公開で用いられるようになった拡大公開(ブロックバスター)
上記の『スーパーマン』の公開なんかもそうですね。
当時の大阪だと、ただでさえ少ない洋画の大劇場が、ひとつの作品に独占されていた時代がありました。
大阪ではね、上記の広告にて70mmマークが躍るキタとミナミの4館がメインとなりました。
「梅田グランド」、「梅田東映パラス」、「大阪松竹座」、「千日前・国際劇場」
この記事では、私が80年代に撮影した写真と共に、その老舗大劇場4館について書いてみます。






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まずは、西の銀座と呼ばれる大阪・北新地の隣、梅新にあった「梅田東映パラス」







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梅田東映パラス。座席数791(改装前は914)
私がこの劇場で最初に観た作品は、リバイバル上映の『燃えよドラゴン』
平日の学校帰りに行ったんで、場内ガラガラやったのを憶えています。
この写真、実は劇場最後尾からの撮影ではないんです。一般席の最後尾で、このエリアより後ろが、普段は開放されていない指定席エリアなんですね。同じ梅田に今も残る旧・ニューОS劇場も同じような造りでした。
だから私の最初の印象は、お隣の「梅田東映」と同じく、縦に長い大劇場という感じ。
今回紹介する4つの映画館の中で、唯一、大スクリーンが軽く湾曲している劇場でした。

私、十代の頃に年齢をごまかして友人と北新地の喫茶店で夜中にバイトしてたんですよ(汗)・・・。
朝バイトを終え、いつも梅田の東映会館の前を通って帰宅するんですが、ある日の朝早くから東映パラス前に行列が出来ていた。
当時の私は遊びに忙しく、大人に背伸びしていた頃なので、映画はあまり見ていなかったんですが、その行列を見て映画好きの血が騒いだんですね。私も反射的に並んでしまった(笑)・・・。
そうして長い時間並んで観た映画が、『E・Т』でした。
初日の初回から立ち見の出る超満員で観た『E・Т』、笑いありスリルあり感動ありで、忘れられないですね。

あとね、梅田東映パラスではこんな事もあった・・・。
ある映画を見に行ったとき、私は時間に余裕があったんで、次回上映作の前売り券を買うために劇場窓口に朝から並んでいたんですよ。当日券を買う人の列に。
するとね、私の前に並んでいた30くらいの女性に、大学生くらいの男が近づいて、当日私が見る予定だった映画の前売り券を差し出して、「コレ、急に見れなくなったんで、よかったら差し上げます」なんて言ってるんですよ。
男の言動がおかしい・・・他にも並んでいる人がいるのに、あえてその女性に声をかけているから、私は半分、ナンパしてるのかな?と思って見てた。
女性の方はタダで映画が見れるので、「いいんですか?なんなら同じ金額でその前売り券買いましょうか?」なんて言ってる。
そしたら・・・。
そのやりとりを見ていた東映パラスの切符売り場のおばちゃんが凄い勢いで怒りだしたんですよ〈爆汗)
「ちょっと~! そんなん映画館の前で止めてよ!ちゃんと当日券買う人にそんな事せんといて!営業妨害やんか! 止めて! あんたしまいに警察呼ぶで! 止めて言うたら止めて~!ギャ~!」って(爆)・・・。
私が見てもね、そんな事でそこまで怒るか?という異常な怒りかたなんですよ。
その間、私を含む30人ほどの列、ほったらかしなんよ(超爆)・・・。
結局、切符売り場のおばちゃんに怒鳴りちらされた男と女、列を離れたんですが、怒りがおさまらない切符売り場のおばちゃん、ず~っとブースの中でブツブツ文句言いながら券を売ってた(超爆)・・・。
(私はちゃんと見たんですが、結局女性は学生風の男に、前売りと同じ金額を払っていました。男はタダでいいと言ってるんですが、おばちゃんのあまりの剣幕にビビったんでしょうね)

梅田ピカデリー同様、座席間隔の狭い劇場でしたね。
あと、緩やかなスロープ状の場内に対し、スクリーンの位置が低いので、前の席の人の頭が大変邪魔になる劇場で、私は前方の席で見る事が多かったです。
同じ東映系の「梅田ブルク7」開場に伴い、2000年4月に閉館。





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次は吉本新喜劇でお馴染みの「うめだ花月」の地下にあった、「梅田グランド」









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「梅田グランド」、座席数は600。
昭和40年代中頃までは、地上の「花月」が映画館で、地下が演芸場やったそうで、吉本新喜劇が人気になった事で、地上が演芸の「うめだ花月」になり、地下が洋画封切館の「梅田グランド」に入れ替わったそうです。
多くの名作映画を上映してきた、大変番組に恵まれた劇場でしたが、今回紹介する4大劇場の中では一番規模が小さい。スクリーン前の舞台に演芸場だった名残がある。
うめだ花月の横に入口があり、長い緩やかなスロープを降りると切符売り場がある。
普通、地下にある映画館は天井が低く、どうしてもスクリーンが小さな劇場になるんですが、この梅田グランドは違った。
場内はビックリするほどの急勾配で、中段からはスタジアム形式になっているのが特徴。
どんだけ地下深いねんって(笑)・・・。
その分天井も高いので、小ぶりながらも70mmスクリーンを維持していましたね。
スクリーン横に吉本の芸人の楽屋があり、あの明石家さんまが『キャリー』のラストで場内に空き缶を転がして客をビビらせたという伝説の映画館です(爆)・・・。

私がここで最初に見た映画が『ジョーズ2』、超満員でした。
たまにこの劇場で大作を見ると、いつも立ち見の超満員でした。『スーパーマン』とか、初公開されたときの『ブレードランナー』とかね。
1980年に「梅田ピカデリー』が開場すると、役割をそのピカデリーに取って代わられ、番組も格下げみたいになって地味になる。
私はどちらかというと、番組が地味になった晩年の方でよく通っていました。
とても造りが個性的やったので、ある意味インパクトの強い映画館でしたね。
1980年代まではあったんですが、いつの間にか「うめだ花月」と共にひっそりと閉館していました。







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次は道頓堀にあった、「大阪松竹座」を紹介します。









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今では演劇の劇場として同じ外観を保つ大阪松竹座。
私が洋画を観だした1970年代の終わり頃は映画館でした。
私がここで最初に見た映画は、サム・ペキンパー監督の『コンボイ』、これまた超満員でした。







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「大阪松竹座」、座席数1124。
大変歴史のある大劇場で、普段は閉鎖されていた2階席も含めて、オペラ座のような造りになってるんですね。
だから総座席数も多い。
昔は2階に喫茶店も常設されていて、よくお見合いの場所として選ばれていたそうですよ。
ここはクッション性皆無の古い椅子が固くてね、上映時間の長い映画の時はオケツが痛いんですよ(汗)・・・。
この劇場はホールエコーも含めて音響がクリアで、独特の響きがあった。

何度も書いていますが、ここでは70mmフィルムが溶けて上映中止になった『バットマン』が忘れられん。
1994年5月に閉館。







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最後は、混ぜカレーで有名な「自由軒」の隣にあった、千日前・国際劇場を紹介します。







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千日前・国際劇場。座席数762(改装前は1032席)
この写真は私が改装前に撮ったもの。
この映画館も個性的な造りでした。まずフラットな1階席があって、2階部分にあたる後方席がスタジアム形式。
さらに、3階部分にあたる2階席から、劇場左右に観覧席が延びてるという・・・。
(場内画像左端に、延びたスロープ状の観覧席が見えている)
私がよく紹介する新世界・国際劇場を大劇場にした感じの映画館でした。
古い分、汚くてね(汗)、ここのトイレの洗面所だけですよ、「この水は飲めません」と書いてあったの(爆)・・・。
私がここで最初に見た映画は『スウォーム』、途中から入ると、大スクリーンにヘンリー・フォンダのアップが映っていたのが忘れられん。
『宇宙空母ギャラクティカ』を観て、初めて“センサラウンド”という特殊音響効果を味わったのもこの劇場。
空気が振動するという“センサラウンド”、簡単に言うと電気風呂に浸かった感じですわ(超爆)・・・。

今回紹介した映画館で、一番私がよく通った劇場ですね。
理由は、同じ番組を上映していた梅田ピカデリーがあまり好きではなかったから。
私ね、洋画を観だした若い頃って、松竹・東映系の映画館は好きではなかった。
赤で統一され、洗練されていて清潔な東宝系の劇場が若い頃は良かった。
しかし、自分が大人になったときに、古い歴史のある汚い劇場のほうが味があるなと・・・嗜好が急に変わったんですよね。
切符売り場を含め、おっちゃんとおばちゃんが迎えてくれる千日前・国際劇場は温かい雰囲気が庶民的で好きやったなぁ・・・。
この劇場、大作とそうでない映画の時で音響にばらつきがあったのも特徴。
お正月に友人と『ステインアライヴ』を見に行ったら満員で入れなかったんですが(汗)、同じ友人とここで『ビバリーヒルズ・コップ』を見たときも超満員でね、3階の最上段から見た経験がありますわ。

この千日前・国際劇場で忘れられない光景、ふたつある。
ひとつは男性トイレの個室内に描かれた落書き。
物凄く上手い絵で、可愛い女の子が後ろ手に縛られて、泣きながらフェラさせられている落書きがあった(超爆)
他にも凄い落書きがたくさんあって、そんな落書きが長いあいだ放置されていた事が凄い(超爆)・・・。
ある意味、見事なアートでしたよ。
あと、有名なのは、スクリーンに向かって右側の舞台にピアノがあった。
休憩時間になるとおじさんが登場し、スポットライトがそのおじさんに当たると、おじさんのピアノ演奏が始まる。
休憩時間に楽器の生演奏が聴けるという映画館、私は他に見たことも聞いた事もない。
お客さんがまばらでも、演奏が終わるとみなさん、ピアニストおじさんに拍手を送っていた。
そのピアノの生演奏、1980年代の初め頃までは続いてましたね。

数々の名作を上映してきた千日前・国際劇場、なんばパークスシネマの開場に伴い、最後の方は2番館扱いにされてしまって、大きなミニシアターみたいになってたのが残念。
私が息子を連れてここで最後に見た映画も、Jホラーの『ドリーム・クルーズ』だった。
2007年に惜しまれながら閉館しました。

上記の4館、思い出は尽きないんですが、映画ファンとして、これらの劇場と触れ合えた事、私は幸せな時代に映画を見れたと思いますね・・・。





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