ナニワのスクリーンで映画を観るということ。

大阪の映画好きゾンビまんです。 映画館のスクリーンで映画を観るということ。

2014年07月

映画で自分語りしまくる書庫、「この映画のソコが凄い!」を更新します。
今回は1976年(昭和51年)に公開され、横溝ミステリー・ブームを巻き起こした『犬神家の一族』の凄い部分を熱く語りたいと思います。
 
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『犬神家の一族』は、あの角川映画の第一弾として制作・公開されました。
角川書店、自社の本を売る為に企画された作品なんですが、あまりにも映画的魅力に溢れた作品でしたね。
 
懐かしい角川映画のオープニングタイトルを貼っておきます。
 
 
 
 
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公開当時の関西版新聞広告です。
 
角川映画の特徴は、その徹底した宣伝戦略。あらゆる分野で作品を宣伝しまくる。
私は公開当時、小学校の5年生ぐらい。
まだまだ怪獣映画に夢中になっていた頃なんですが、この作品の存在は当然知っていたし、気にはなっていました。
宣材でこの作品のトレードマークのようになっている、湖からにょっきり突き出た人間の両足。
この両足のオブジェのような素晴らしさに、当時の私は気付かなかった(汗)・・・。
「なんか変なとこで逆立ちしとんなぁ・・・」くらいのもんでね(爆汗)・・・。
 
公開当時、同じクラスの隣の席に座る女子とよくおしゃべりしてたんですよ。
その女子がね、ある日、両親と気持ち悪い映画を観たと私に話しかけてきてね。
その子いわく、「人が変な殺され方ばっかりされて、髪の毛ボサボサの名探偵が事件を解決しやんねん」と。
その時にね、普段は大人しいその女子の目が異様にギラギラ輝いていたのが印象的でね・・・その子の話を聞いている私の目も同じように輝いて、なんかワクワクしてたと思うんですよ・・・。
そんなクラスメートから聞いた『犬神家の一族』という映画は私の脳裏に残った。
そして一年後、角川映画の手を離れて、市川崑監督・石坂浩二さん演じる金田一耕助コンビの横溝ミステリーは東宝でシリーズ化され、第2弾『悪魔の手毬唄』が公開された。
その『悪魔の手毬唄』をね、私のオカンが友達と観て来たと言うので、語って聞かせてもらった。
私のオカンの目も私の目もギラギラしてたと思う。
それはなぜかというと、人間には、猟奇的なモノに惹かれるスイッチがあるからだと思うんですよ。
そんな時期に、テレビ放映で『犬神家の一族』を観た私はぶっ飛んだ。
あまりにも『犬神家の一族』が魅力的すぎて・・・。
 
 
 
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あまりにも美しい大野雄二の”愛のバラード”と個性的なタイトルバックで始まる『犬神家の一族』
ある大物製薬王の死で始まるんですが、まず私が驚いたのが、舞台が終戦直後の昭和20年代なんですね。
日本の旧家で巻き起こる、愛憎入り乱れるドロドロとした遺産争いを描いた作品なのに、その様式美を湛えたモダンな映像作りの為に、古い要素をまったく感じさせない。
そこにあるのは横溝ミステリー&市川崑ワールドなんですよ。
 
『犬神家の一族』 ”愛のバラード”
 
 
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袴姿にヨレヨレの帽子姿でいて、淡い茶髪のボサボサ頭という石坂浩二演じる金田一耕助だって、観ているこちらの時代感覚が麻痺しそうなキャラなんですよね(笑)・・・。
(このシリーズの準レギュラーだった坂口良子の女中も最高に可愛い)
とにかく石坂・金田一耕助は、ぬるい温泉にそ~っと浸かるかの如く、複雑怪奇な人間関係の中に入り込んでいくんですよね・・・。
金田一耕助は、遺産相続争いにまつわる連続殺人事件に首を突っ込む事になる。
 
 
 
 
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この作品でまず強烈なキャラが、ゴムの仮面で顔を隠す、佐清(スケキヨ)さん。
戦争で顔にどえらい傷を負ったこの人が序盤で仮面をめくるシーン・・・私は数日、怖くて寝れんかった。
この作品、顔を隠した男がふたりいるという設定が、事件の謎を解く大きなカギでした。
もうね、この佐清というキャラがいるだけでこの作品のミステリーは極上のモノになっている。
佐清の存在自体が猟奇的な魅力に溢れている。
 
 
 
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私がクラスメートの女子と、なぜ『犬神家の一族』の話題になったのかというと、公開当時、私は大阪の寝屋川市の小学校に通っていて、ひらかたパークのある枚方市に近い。
だから遠足などで、ひらかたパークの名物であった”大菊人形展”を見学させられるんですよね。
私はその菊人形がキモくて大嫌いやというネタをふったら、『犬神家の一族』の話に発展したんよ(爆)・・・。
この映画の”ソコ”が凄い!!・・・私のクラスメートの女子が言った、「変な殺されかた」が凄い!!
この映画の最大の魅力とは、モダンなミステリーに華を添える”殺人美学”に尽きると思う。
殺人を芸術的な域まで高めるという意味では、このシリーズとダリオ・アルジェントの殺人描写は双璧だと思う。
菊人形の首とすげ替えられた人間の生首・・・なぜそんな手間のかかる事をするのかという部分に、ちゃんと動機があるから”ソコ”も凄いし、金田一が言う、「あの菊人形の生首を見て、一番驚いたのは犯人でしょう」というミステリー上のトリックも凄すぎる!!
 
 
 
 
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このドロドロとした作品に、本当の華を添えた島田陽子さんはマジで美しかった。
この人の存在が遺産に絡む連続殺人事件の動機になってるんですが(爆汗)・・・。
この島田陽子さん演じる珠世だけは、顔を隠したふたりの男を見分ける事ができるんですよね・・・。
愛する男を見間違える事はない。
 
 
 
 
 
 
 
 
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「犯人とは別の人間が、殺人の後始末をしているというのが、この事件の特徴なんです」という難事件を見事に解決する金田一耕助。
後の横溝ミステリー・ブームにより、いろんな俳優が金田一耕助を演じる事になるんですが、やはり私は世代的に石坂浩二さんの金田一耕助が一番好きですね。
事件を推理する為に、事件に関わる人たちの中に身を投じる金田一耕助は、最後には人々の心を繋いで去っていく。
寂しいような、優しい余韻をいつも作品に与えてくれた金田一耕助は、石坂浩二さんだけやった気がします。
そんな名探偵が活躍するには、科学捜査の遅れた昭和20年代がピッタリでもあるんですよね。
 
私はこの作品、時代を超えた邦画の名作やと思います。
犯人がわかっていても、何度見ても面白い。
この作品、市川崑&石坂浩二さんのコンビでリメイクされたんですが、全くと言ってもよいほど、脚本がいじられていなかった。
制作サイドの要望やったそうですが、それほど完成度が高い作品なんですよね。 
ぶっちゃけ、この作品の犯人の動機って呆れるほどぶさいくで自分勝手なんですが、すべてを美しいオブラートで包んでしまう様式美とモダニズムが”凄い”・・・。
 
 
 

本日は仕事帰りに映画鑑賞してきたので紹介します。
 
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↑B5チラシ2種です。
 
 
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↑関西版新聞広告です。
 
 
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本日のTOHOシネマズ梅田・シアター1の様子です。
 
 
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↑大判パンフ・定価850円です。
 
 
 
 
 
GODZILLA ゴジラ』
解説:怪獣映画の傑作として映画史に名を残す『ゴジラ』を、ハリウッドが再リメイクした超大作。突如として出現した怪獣ゴジラが引き起こすパニックと、ゴジラの討伐に挑む人類の姿を壮大なスケールで活写する。メガホンを取るのは、『モンスターズ/地球外生命体』のギャレス・エドワーズ。キャストには『キック・アス』シリーズなどのアーロン・テイラー=ジョンソン、『ラスト サムライ』などの渡辺謙ら実力派が結集。ゴジラの暴れぶりもさることながら、凶悪度の増したデザインに息をのむ。
 
あらすじ:1999年、日本。原子力発電所で働くジョー(ブライアン・クランストン)は、突如として発生した異様な振動に危険を感じて運転停止を決意。だが、振動は激しさを増して発電所は崩壊し、一緒に働いていた妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)を亡くしてしまう。それから15年後、アメリカ軍爆発物処理班の隊員である、ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、日本で暮らす父を訪ねる。原発崩壊事故の原因を調べようと侵入禁止区域に足を踏み入れた二人は、そこで思いも寄らぬ光景を目にする。
 
 
 
私は子供の頃、テレビに興味を持つ前に映画館でゴジラを観て以来、映画の虜になった。
そんな私だから、自他ともに認めるゴジラマニアなんですね。
死ぬほどゴジラが好きな私だから、どこの国がゴジラ映画を制作しようと、新作が公開されれば必ず観て興奮する。生きていて良かったと幸福感に浸る。
だから私は新作ゴジラ映画のレビューをまともに書けない(爆汗)・・・。
 
今回のハリウッド版ゴジラ、物凄くビックリした。
だってむちゃくちゃオモロい娯楽映画なのに、ゴジラが特別出演扱いってどうよ?(爆汗)・・・。
まず驚いたのがね、作り手のオリジナルに対するリスペクト溢れる中盤までの展開、良い意味で期待を裏切られて、スリリングで面白い。
重厚なゴジラ出現の物語ではなく、作り手は昭和・平成ゴジラ・シリーズの特徴である対戦バトル映画にしとるのよね。
『ゴジラ2000 ミレニアム』と、『ガメラ大怪獣空中決戦』をチャンポンにした内容を、凄く真面目に描いている。
 
リアルさを作品にもたらそうとした人間ドラマ部分も悪くない。
気になったのは、原発事故だとか津波災害のパニック描写に、近年日本で起きた大災害の様子が色濃く反映されてる部分に反比例して、昔のアメリカの核実験の様子がサラっと描かれている部分(汗)・・・。
怪獣襲来で群集がパニックに陥り、引き裂かれた家族のドラマに置かれた比重が凄く高い超大作なんですが、すべてを置き去りにして後半描かれる軍(主人公アーロン・テイラー=ジョンソン)と怪獣の攻防とのバランスが悪いのが気になった。
ゴジラの暴れっぷりが少なすぎてダルいねん。
しかし・・・。
海から現れて海へと帰っていくゴジラ王道の雄姿を見れただけで、私は大満足。
ゴジラって、昔から柔軟性のあるキャラが売りの素材であり、世界的大スターだった。
 
[2014年、7月25日、『GODZILLA ゴジラ』、TOHOシネマズ梅田・シアター1にて鑑賞]
 
 
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この作品の太っちょゴジラさん、作品の半分くらいまでストーリーが進まないと登場しない。
やっと登場して咆えたと思ったら、その後もなかなか登場しない(爆汗)・・・。
外人が発音する「ガッジラ」って、ジラすことなんかなと思ったで(汗)・・・。
 
 
 
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アーロン・テイラー=ジョンソン、堂々の主役でした。
後半、この人がミサイルを巡って家族そっちのけで怪獣を追う姿が凄く蛇足的で笑える・・・いや、ダレる(汗)・・・。
ハッキリ言って、この映画はこの人主演のパニック映画としての趣の方が強い。
 
 
 
 
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アーロン・テイラー=ジョンソンの妻役、エリザベス・オルセン。
この人、昨年はティーン役のサスペンス映画が続けて公開されたんですが、この作品では小さな子供のお母さん役なんですよね・・・。
 
 
 
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この作品でね、唯一ゴジラの重みを伝えていたのが、われらの渡辺謙でした。
役名が芹沢猪四郎ですからね。
この人は、新たに登場したつがいの新怪獣とゴジラを戦わせようとする・・・という、昭和・平成のゴジラシリーズのスタイルを見事に踏襲してるんですよね・・・。
 
 
 
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この作品のゴジラの設定・造形も大胆でした。
役割的にむっちゃ男前なんですが、貢献度が『昭和残侠伝』の池辺良さん以下なんですよ(爆汗)・・・。
人類に仁義通しまくって静かに去っていきやがんの(超爆)・・・。
これはね、好感の持てる怪獣映画ではあるが、シリーズ化してくれないとゴジラファンは消化不良です。
しかし、新たなリアル・ゴジラの可能性を広げた作品として重要な映画かもしれません。
近年のアメコミ・ヒーロー映画よりは大人向きの作品だと思う。
私はファンとして拍手を贈りたいエンターテイメント作品でした。
 
 

本日は連休最後の昨日、2本目に観た映画を紹介します。
 
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↑B5チラシです。
 
 
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↑関西版新聞広告です。
 
 
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昨日のシネリーブル梅田4の様子です。
シネリーブル梅田の入るスカイビルは好きな空間ですね。
都会と自然が融合した感じで。
 
 
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↑大判パンフ、定価720円です。
 
 
 
『私の、息子』
解説:子離れできない母親と交通事故で子供を死なせた息子との親子の葛藤を描き、第63回ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞したヒューマンドラマ。監督は、初の長編作『マリア(英題)/Maria』でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞したルーマニアの新鋭、カリン・ペーター・ネッツアー。『4ヶ月、3週と2日』などのルーマニアを代表するベテラン女優ルミニツァ・ゲオルジウが、30歳を過ぎている息子に過度に干渉する母親を演じる。辛辣(しんらつ)かつ感動的に描写される母子の姿と、ラストに示される意外な展開が心に響く。
 
あらすじ:ルーマニアのブカレストに住むコルネリア(ルミニツァ・ゲオルジウ)は、30歳を過ぎてもしっかりしない息子バルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)の世話を焼いている。ある日、バルブが交通事故を起こし、被害者である子供が亡くなってしまう。警察の上層部につてがあるコルネリアは考え付く限りの手段を駆使し息子を助けようとするが、バルブはそんな母親に対して怒りをあらわにする。
 
 
 
 
 
日本で公開される外国映画、ミニシアターの普及で、日本では馴染みのない国の映画がたまに公開されます。
そういう作品は選りすぐられた作品なわけですから、最低水準はクリアされた作品が多い。
たまたまミニシアター系の公開作をチェックしていたら、ルーマニアの作品があったんですね。
注目していたら、たまたまブロ友pu-koさんがこの作品を記事にされていた。
私にしてみれば、「観るしかないでしょう」という感じ・・・。
私的にルーマニアと言えば、ドラキュラ伯爵の生まれ故郷という印象しかないんですが(汗)・・・。
 
これはね、私の想像とはかなり違う作品でした。というのは、手持ちカメラでドキュメンタリー・タッチなこの作品、映画的というより、どこの家庭の誰にでも降りかかるような出来事を淡々と描いた作品で、観る人のオカンの存在や経験値で、かなり感じ方が違う作品やなと思った。
 
主人公のコルネリアという60すぎのオバハン、自分に寄り付かなくなった30代の息子の悪口ばっかり冒頭から言うてる(笑)・・・。
「私の誕生日なのに、こちらから言わないと電話ひとつくれないし、誕生日にも来ない。きっと、息子の彼女がくだらない女なんでしょ」みたいな愚痴のオンパレードで、画面が変わっても、家政婦相手に息子の情報収集ばかりしてる(爆)・・・。
でね、家政婦に自分の靴をあげると一方的にまくしたてた挙句、「仕事に戻りなさい」と、自分から家政婦をお茶に誘いながら言い捨てるという(爆)・・・。
(相手に足のサイズを聞かずに靴を押し付ける自己中心的なコルネリアを表した冒頭の部分は見事)
 
そんなコルネリアは、息子バルブが事故で少年を車で跳ね殺したと聞いても、自分の息子の心配しかしていないどころか、警察にコネのあるコルネリアは、息子に有利に働くように証拠を隠滅・捏造しようと躍起になる。
そんな子離れできない母親に嫌気がさしている息子のバルブなんですが、ただ単に母親に干渉されたくないだけで、大して母親の行動に疑問を抱かないようなヘタレなんですよね・・・。
 
この作品はね、人の痛みがわからない母と子が事故に直面し、当たり前に人の痛みが少しわかりかけてくるという現実を描いた作品なんで、事故の遺族側の気持ちになって鑑賞しているとシラける一面もある。
(ルーマニアの交通事故処理の仕方に違和感をおぼえるからかもしれない)
 
ただ、この作品に好感が持てるのは、どんな世間知らずのオカンでも、子に対する無償の愛が最強であるという事を伝えているから。
子の親とは、いつまでたっても親なんよね・・・。
子供は子供で、自立するには親の過度の干渉がうっとおしいから、年を食うほど親にはベタベタしてほしくない。
その辺りの親子の葛藤を描きながら、世間知らずなコルネリアの子離れできない寂しい心情と空振り続きの愛情がボディブローのように効いてくる映画の語り口は平凡だからこそ良かった。
 
[2014年、7月21日、『私の、息子』、シネリーブル梅田4にて鑑賞]
 
 
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冒頭、自分の誕生日に電話をよこさない30代の息子を嘆きまくるコルネリア(ルミニツァ・ゲオルジウ)
コルネリアはとても裕福で地位があり、上流社会に太いパイプを持つ。
ある日、息子が交通事故を起こしたと連絡をもらうんですが、コルネリアは息子の無事を確認すると同時に、息子が14歳の少年を事故で死なせてしまった事実に直面する。
コルネリアは後の訴訟の事まで考え、息子の保身に躍起になるんですね・・・。
 
 
 
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コルネリアの息子バルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)は、とにかく過剰なコルネリアの干渉を嫌って避けている。
自分は人を事故で死なせてしまい茫然自失・・・。
そんなバルブの前で、コルネリアは警察の前であろうが平気で証拠を捏造したりする(汗)・・・。
警察にコネを持ち、ヘタに裁判に精通するコルネリアのやり方は、いくら自分の息子を救う為とはいえ、まったく呆れてしまうんですが、実際、どこの親も力があれば同じ保身に走るかもしれない。
バルブもね、親に反発するわりにはヘタレで、血液検査の針に注文をつけるなど潔癖症な一面が痛い。
 
 
 
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 この作品はね、息子が起こした事故と向き合う母親を描くというより、事故を通じて向き合う家族の葛藤を描いた作品でしたね・・・。
私も数年前に同じような事故に遭遇し、家族で乗り切った経験がありますから、たまたま加害者になってしまった子供の親の心理は理解できますが、この作品の凄いところは、被害者に対する謝罪の念が前半抜け落ちている分、後半になってコルネリアは被害者の親に会う事にこだわるんですよね・・・。
母親にとって、息子とはどういう存在なのか?という、被害者・加害者の想いが交差するクライマックスには息を飲む(ここでも国の文化の違いに多少の違和感を感じるんやけれども)
私は人として当然なシーンだと思ったんですが、周りのオッサンはなぜか号泣してました。
 
子供が大人になって巣立つという事は、親からすれば寂しい事かもしれんけど、喜ばないといけない。
この作品、子離れできない母親を描いた映画なんですが、一番素晴らしいのはね、人間、いくつになっても、人と交わる事によって変われるという事を強く描いている。
事故を通して人間とちゃんと向き合った母子は、”ソコ”に目覚める・・・。

本日も朝から映画鑑賞してきたので紹介します。
本日は同じシネコンで映画のハシゴをしてきました。
最初に観た作品をまず紹介しましょう・・・。
 
 
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↑B5チラシです。
 
 
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関西版新聞広告です。
 
 
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本日のシネリーブル梅田4の様子です。
『複製された男』、ほぼ満席のスタートでした。
 
 
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B5パンフ、定価700円です。
 
 
 
 
『複製された男』
解説:ノーベル文学賞作家でポルトガル出身のジョゼ・サラマーゴの小説を実写化したミステリー。至って普通の日々を送ってきた教師が、ある映画に自分と酷似した男が出ているのを見つけたことから思わぬ運命をたどっていく。メガホンを取るのは、『灼熱の魂』『プリズナーズ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ。キャストには『ブロークバック・マウンテン』などのジェイク・ギレンホール、『マイ・ファミリー/遠い絆』などのメラニー・ロランら実力派が集う。全編を貫く不穏なムード、幻惑的な物語、緻密な映像が混然一体となった世界観に引きずり込まれる。
 
あらすじ:何も刺激のない日々に空虚なものを感じている、大学で歴史を教えているアダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)。ある日、何げなく映画のDVDを観ていた彼は、劇中に出てくる俳優が自分自身とうり二つであることに驚く。彼がアンソニー・クレア(ジェイク・ギレンホール)という名だと知ったアダムは、さまざまな手を尽くして彼との面会を果たす。顔の作りのみならず、ひげの生やし方や胸にある傷痕までもが同じであることに戦慄する。
 
 
 
う~~ん・・・(爆汗)・・・。
これ、ノーベル文学賞作家の小説が原作らしいのですがね・・・。
書いてる人と、この映画を作った人の頭の中でしか成立していないであろう物語をね、観た私が説明するのは不可能ですよ(爆汗)・・・。
あまりにも観客置き去りのドン引きラストシーンを見た私はね・・・
 
 
 
 
 「誰か助けてくれ~!!」って叫びたかった(爆汗)・・・。
 
 
 
 
 
 
人気米国俳優ジェイク・ギレンホールが出演したこの作品、カナダとスペインの合作。
冒頭、実に怪しげな秘密の儀式が映し出される。 画面が変わり・・・。
大学講師のアダムは、知人に薦められた映画の中に、自分に瓜二つの男を発見して、気になって仕方なくなるんですね。
独自で自分に似た男を探し出したアダムは、売れない俳優である自分に似た男、アンソニーと対面する事にする。
アンソニーは、自分の妻にも接近したとアダムをなじり、1日だけ自分と入れ替わる事を要求する(どんな展開やねん)・・・。
アンソニーは、アダムに自分の妻と関係を持っただろうと因縁をつけ、アダムになりすましてアダムの恋人とセックスするのですが・・・という、とんでもないお話(超爆)・・・。
 
世の中には同じように似た顔の人が必ずいると言います。
実は私の町内にもそんな私に似た男がいて、私も嫁さんも驚いた事があった。
問題はね、そういう題材を使ってどのようなフィクションを構築するか。
この作品、冒頭の儀式シーンに始まり、重厚な音楽を含め、あえて全体のカラーがSFサスペンス調なんです(そこは徹底している)
適度に思わせぶりな伏線もばら撒いてあるんですが、すべての解釈を観客に丸投げして終わる(怒)・・・。
原題が“ENEМY”というこの作品、いくらアダムとアンソニーが、姿かたち、胸の傷まで同じでも、『複製された男』という邦題もおかしい。
ノーベル賞を受賞するような超賢い人の頭の中なんてわからんわ(爆汗)・・・ゴメン、正直に言う・・・理解してあげたくない(汗)・・・理解に苦しむ。映画をナメんな。
 
[2014年、7月21日、『複製された男』、シネリーブル梅田4にて鑑賞]
 
 
 
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大学講師のアダム(ジェイク・ギレンホール)は、訪ねてくる恋人と激しいセックスをし、大学で教鞭を振るうという単調な日々を繰り返している。
そんなアダムは、同僚から「たまには映画でも観ろ」と、ある映画を薦められるんですね。
家でその映画を鑑賞していると、自分そっくりな男が端役で出ていた。
なぜかその俳優が気になって仕方がないアダムは、その男、3流俳優のアンソニー(ジェイク・ギレンホール)を探しだし、接近しようと試みる。
アダムはアンソニーに接近する段階で、アンソニーの妻に存在を知られてしまう(その事が後の伏線にもなっている)
控えめなアダムに対し、アンソニーはどこか攻撃的でスケベな男というのがミソ(笑)・・・。
ホテルの一室で、ついに対面を果たすアダムとアンソニー。
 
 
 
 
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アダムの存在を知ったアンソニーは、なぜか妊娠中の妻とアダムが関係を持ったと邪推したうえに、アダムの恋人メアリー(メラニー・ロラン)に異常な興味を示す。
暴走するアンソニーは、アダムに一日自分と入れ替わる事を要求するんですね。
そういう男目線の妄想って、死ぬほど似てる双子なら実現可能なんですが・・・。
 
 
 
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アンソニーの代わりに家庭に入ってきたアダムを、アンソニーの妻ヘレン(サラ・ガドン)は受け入れる。
そう、どうやらヘレンはアダムの正体に気付いているようなのだ。
ここから、二人の女性を取り巻くアダムとアンソニーの運命が急展開を迎える。
 
 
 
 
 
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この作品、人の二面性であるとか、いろんな要素を遠回りに描写したいんやと思うけど、どれひとつ取っても「だからどないやねん」というモノばかり。浅いんですよ・・・。
深くできないからSF的解釈で全部逃げてる。
私がひとつ疑問に思ったのは、伏線になるべき思わせぶりな描写がね、絵で見せないとわからないモノばかりなんですよね。
その辺り、原作はどう書いていたのかと気になりました。
凄く難解な作品で困ってしまったんですが、その観客無視のマスターベーション度は近年の映画の中でも稀な衝撃を放っている(微妙に褒めてません(汗)・・・)
 

本日も朝から映画鑑賞してきたので紹介します。
 
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↑B5チラシです。
 
 
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↑前売り特典のポストカードです。
 
 
 
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本日のテアトル梅田の様子です。
いつもお客が入るテアトル梅田なんですが、今朝はガラガラでした。
 
 
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パンフ代わりに販売されていた、A43つ折りプレスです。定価320円。
パンフが制作されなくても、こういうプレスの販売は嬉しいですね。
 
 
 
 
『マイ・ブラザー 哀しみの銃弾』
解説:俳優としても活躍するギョーム・カネが監督と脚本を務め、犯罪に手を染めた兄と警察官の弟の激しい対立と同時に複雑な心模様を映し出したサスペンス。1970年代のニューヨーク・ブルックリンを舞台に、全く違う道を歩む兄弟の葛藤を浮き彫りにする。主人公をクライヴ・オーウェンとビリー・クラダップが熱演。マリオン・コティヤールやミラ・クニスら豪華キャストが織り成す一筋縄ではいかない物語に圧倒される。
 
あらすじ:1974年、殺人事件を起こして服役していた兄クリス(クライヴ・オーウェン)が7年ぶりに出所する。今や模範的な警察官になった弟フランク(ビリー・クラダップ)は、自分の家に兄を迎え入れ、仕事の世話をしたり、前妻(マリオン・コティヤール)との間に立ったりして兄といい関係を築こうとする。そんな最中、クリスが以前犯した犯罪が明るみとなり、職場を追われてしまう。この出来事が兄弟の関係に影を落とし……。
 
 
 
 
 
 
昨年、私はミニシアターで時間調整の為にある映画を鑑賞した。
惚れたシングルマザーの幼い息子を抱え、出稼ぎに行って連絡が途絶えた愛する人の息子と共に四苦八苦する男を描いた『よりよき人生』というフランス映画なんですが、あまりの素晴らしさに私は驚いたんですよ。
その映画に監督・主演していたのがギョーム・カネという人。
今回、私が鑑賞した『マイ・ブラザー哀しみの銃弾』という作品は、そのギョーム・カネという人が以前出演した映画の英語版の監督リメイク作だそうです。
私は興味津々で鑑賞しました。
(ちなみに私はオリジナル作は未見です)
 
模範的な警官フランクは、7年ぶりに出所してきた兄のクリスを迎えに行き、生き方が違い関係の悪い兄の世話をぶっきらぼうに焼くわけ(笑)・・・。
クリスはフランクの部屋に居候し、フランクが世話をしてくれた就職先で、堅気になろうと真面目に働くんですが、前科者として迫害されたクリスは憤慨し、徐々に悪の道へ逆戻りしてしまうんですね。
そんな兄クリスの行動は、警官であるフランクを窮地に追い込む結果となる。
ある事件を追うフランクは、追いつめた男がクリスである事に失望し、遂には警官をやめてしまうんですが・・・という、実はかなりややこしいお話の映画でした(汗)・・・。
 
この作品、1974年のニューヨーク・ブルックリンが舞台で、まだまだ社会復帰してきた前科者に対して、差別や偏見が蔓延っていたという時代背景が重要なんです。
せっかく真面目に堅気になろうとするクリスは職場でいじめられるし、結局は前科者の兄がいるおかげでフランクも警官を辞めざるを得なくなるという展開がなんとも見ていてやるせない。
しかし、この作品はクリスとフランクの家族を中心とした、実に深い人の絆を描いた作品でした。
 
ギョーム・カネという人が伝えたい事って、『よりよき人生』も『マイ・ブラザー』も同じ。
人間同士が信用できる事の素晴らしさ・・・人間、最後はハートだぜっていう部分なんですよね。
もう人物描写と語り口は浪花節そのもの。
この作品での”兄弟“という摩訶不思議な関係が醸し出す、投げ出す事が出来ない情の描き方には猛烈に共感できました。私も男兄弟やしね。
愛情表現が不器用でも、根底でお互いを思いやる兄弟の絆が生んだスリリングな展開に、手に汗を握る事ができる快作でした。
 
[2014年、7月20日、『マイ・ブラザー 哀しみの銃弾』、テアトル梅田1にて鑑賞]
 
 
 
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子供の頃から不良で、娑婆にいる期間が短いクリス(クライヴ・オーウェン)は、7年ぶりに出所する。
自分の家族よりも、まず病気の父親に会いたいというクリス。
案の定、そのあとに再会した実の子供たちは、クリスの事を憶えていない(汗)・・・。
(私、なぜかクライヴ・オーウェンという俳優さん、ジェラルド・バトラーとよく間違える(汗)・・・)
 
 
 
 
 
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兄クリスとは正反対の警官の道を歩むフランク(ビリー・クラダップ)
長くクリスとは音信不通で、兄弟なのに仲は良くない。
しかし、根底では兄クリスを想っていて、出所した兄の世話を焼く。
 
 
 
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フランクの家に居候するクリスは、フランクの世話した職場で働くんですが、前科者への風当たりが厳しい職場に耐えられなくなり、食う為に再び悪の道へ戻ってしまう・・・。
 
 
 
 
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一見、模範的な警官であるフランクなんですが、実はとんでもない職権乱用を犯している。
未練がある元恋人のヴァネッサ(ゾーイ・サルダナ)と復縁したい為に、ヴァネッサと結婚している元チンピラをでっち上げ捜査で監獄にぶち込むんですよね(汗)・・・。
夫が留守の間に、ちゃっかりヴァネッサと復縁するフランク。
その事が後半の大きな伏線になります。
 
 
 
 
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ちゃっかりしているのは兄のクリスも同じで、クビになった職場の事務員ナタリー(ミラ・クニス)と恋に落ち、最終的には結婚するんですね。
しかし、再び悪の道へ走る兄への嫌悪感から、フランクはクリスの結婚式に出席しない。
 
 
 
 
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兄弟の良い絆を描くにあたって、やはり親との関係を掘り下げて描かなくてはいけない。
クリスとフランクの父親(ジェームズ・カーン)の存在が良いのですよ。
この作品、犯罪をスパイスに用いながら、実はホームドラマというところがミソで、名優ジェームズ・カーン演じる無骨な父親は重要人物でした。
 
 
 
 
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ある犯罪現場でクリスと遭遇したフランクは、クリスの肩を撃って逃がしてしまう。
その事でフランクは警官を辞めてしまうんですね・・・。
売春宿を開き金儲けするクリスは、自分が関わったトラブルが原因で、フランクの命が狙われている事を知り、街を離れる事になったフランクを助ける為に後を追う・・・。
少年時代のトラウマから、さりげなくクリスを助けるフランクも渋いですが、その想いからフランクを許し、フランクを救う行動に出るクリスもカッコいい。
実にニヒルな兄貴の表情で終わるこの作品の余韻は心地よい。
 
 
 
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監督のギョーム・カネと、劇中でクリスの元妻を演じたマリオン・コティヤール。
実はこの二人、プライベートでもパートナーなんですよね。
(ちなみにギョーム・カネの前妻はダイアン・クルーガー。モテる人なんよね)
 
私はギョーム・カネという人が映画で描きたい事とかスタンスが大好き。
結局はね、底辺で苦しむ人へのエールに溢れた映画を見せたい人なんやと思う。
この作品もね、登場人物たちがなぜ繋がっているのかという部分の見せ方が秀逸。
自分を想ってくれている人は簡単には裏切れないという事を描いている。
愛情で繋がった人たちの絆を丁寧に描写した映画が、つまらない訳がない。
原題通り、「血は水より濃い」という部分を描いた快作!!

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